東京新聞の社説「アニメに忍び寄る軍靴の音 子供を戦争へは行かせない」
先日、14歳になる孫が「シドニアの騎士」というアニメが好きだと言っていたので、孫との交流にと思い私も借りてみてみることにしました。
パッケージを見ると宇宙飛行士のような人物が描かれていて、どうやら宇宙飛行士が活躍する冒険譚のようでした。
しかし、オープンテーマが始まり、私は耳を疑いました。
アンジェラという歌手が歌うオープニングテーマはまるで戦前の軍歌のようだったのです。
もちろん軍歌そのものではありません。
しかし、現代風にアレンジされたその曲は明らかに戦前の軍歌をイメージしており、歌詞も敵に立ち向かうシドニアの船団員の勇敢さを褒め称えたものでした。
でも、私はそれだけで作品を判断してはいけないと思い、続きを見ることにしました。
シドニアという宇宙船には大勢の人々暮らしており、シドニアの指導者である小林艦長という人物が宇宙船のすべてを取り仕切っているようでした。
小林艦長は、常に能面のような仮面を被っており、その表情を窺い知ることは出来ません。そして、シドニアという国家の為なら多少の犠牲は厭わないという冷酷さを兼ね備えた人物でもあります。
物語の中で、その小林という人物が最高意思決定機関と思われる神社のような宗教施設に入るシーンがあります。
何故、宇宙船の中に神社があるのでしょうか。普通の会議室でいいはずです。
そこで、わたしは確信しました。仮面を被っていることは人間である事の否定、即ち絶対的な権力を持つ「小林館長」は人間ではなく現人神であるということを意味しているのです。
そこには作者の天皇を中心とした戦前の国家神道に対する強い憧れを感じざる得ませんでした。
女性の私から見ても、この作品が戦前の日本をイメージしていることは明らかで、強大な敵に果敢に立ち向かう日本軍を美化するような内容に寒気がしました。
主人公達、軍人は戦場に行く前に皆でお互いに手を組み合う「掌位」という儀式を行いますが、これも個を否定し皆が一丸となり国家の為に命を捧げる覚悟があることを示しているようでした。
そして、シドニアの騎士というタイトルにも関わらず、主人公のイラストは日本刀を手に握っているのです。
作品の名前がシドニアの武士ではなく騎士としていることも、作品に込められた右翼的思想をカモフラージュする為のものではないかと疑ってしまいます。
日本の右傾化は娯楽作品の中にまで浸透していることを肌で感じ恐ろしくなりました。
このようなアニメを見て育った若者はどこへ行ってしまうのでしょうか。
決して、日本を戦前のような軍国主義に戻さないためにもこのような有害なアニメは積極的に規制されるべきだと思います。
孫にはこのアニメを見るのを止めるように言おうと思います。
宇宙飛行士の物語を見るのでしたら愛がテーマであるプラネテスの方をお勧め致します。
59歳主婦
※この記事はフィクションであり、この新聞記事と59歳主婦は実在しません。これはジョークとして書かれたものであり管理人は上記の思想は持っておりません。シドニアの騎士とプラネテスの単行本は持っております。